発行物紹介

BiTvol6

『WORLD WAR Z』マックス・ブルックス(文藝春秋)

 アメリカではゾンビブームらしい。ゾンビ映画はやたら出てて、ゲームも『レフト4デッド』などが有名だ。アメコミならマーヴルヒーローが全てゾンビ化した世界を描いた『マーヴル・ゾンビーズ』は記憶に新しいし、突如死者の蘇ったロンドンをホームズ&ワトソンがゾンビブチ殺しつつ原因を探ってくというゴキゲンなのもある。  小説のほうもなかなかである。一月に翻訳の出た『高慢と偏見とゾンビ』なんか『高慢と偏見』にゾンビを混ぜた怪作だし、風の噂ではリンカーンの伝記とゾンビを混ぜたのもあるそうだ。  そんな中登場した本書は、地球全体がゾンビの脅威にさらされ、なんとか勝利を得た人間たちのインタビュー集という体裁を取っており、ホラー映画でよく使われるPOVやフェイクドキュメンタリー手法が連想される。またインタビューされる中に日本人もいるが、それがオタク少年と盲目の剣豪というのは少し不思議な気分になるだろう。  ともあれ、ゾンビはモンスターというより安寧を破壊する災害と捉えたほうがいいと個人的には思っているので、パンデミック的にゾンビ害が広がっていく様は昔ながらの災害ものを連想して楽しめたし、インタビューされる人間が千差万別なのもいい。人間の戯画であるゾンビを描くためには、逆に人間がしっかり描かれねばならないのだから。(片桐)

『アードマン連結体』ナンシー・クレス(ハヤカワ文庫SF)

 ある小説内においてSF的ガジェットが使用されていた場合、それのみを根拠にその小説をSF小説と見做して良いのか。これはなかなか面白い問題であるように思える。私自身はそう見做してよいと考えている。そしてこの短編集『アードマン連結体』はその良い証左であると考えている。  作者のナンシー・クレスはSF作家であるとされているがその作風としては、SF的ガジェットを用いながらそこには焦点を当てず、それによって登場人物が何を思いどう行動するのかに重きを置いている。それはまず冒頭作「ナノテクが町にやってきた」に現れている。この短編ではナノテクをガジェットの主題としているが作品内においてはその概念的技術的背景は述べられず、その存在が世界にどのような影響を与え人々はどう行動するのかという部分に作品の主題を置いている。これは表題作においても同じである。これは老人の意識が連結し新たな存在へと進化しかかるという逆『幼年期の終わり』のような作品なのだが、そこで描かれるのは事態に直面した老人たちの心情であり、ある種文学的な雰囲気の作品である。  SF的ガジェットがあるだけではSF小説たりえないという発想はSFの可能性を狭めるだけである。もしそのように考えている方がいたなら、是非この本を読んでもらいたい。(柴田)

『機龍警察』月村了衛(ハヤカワ文庫JA)

 私はアニメをあまり見ない方なので、「天地無用!」や「少女革命ウテナ」の脚本家の人といわれてもピンと来ないのだが、その人が書いた初の小説がこの「機龍警察」である。脚本家としてのこの人がどれほどのものなのかは知らないが、小説家としては少なくとも、この作品を読んで今後を強く期待するなどということも無いのだった。  「機動警察パトレイバー」を彷彿とさせる。近未来、とうとう開発された二足歩行兵器「機甲兵装」は、当然犯罪にも使われるワケで、その機甲兵装を用いた犯罪への対抗策として警視庁に採用された、最新装備「龍機兵」を操る特捜部が、テロリストとドンパチやるのが話の大筋である。  一体なぜなのか、三体存在するの機龍兵のパイロットは一人が傭兵、一人が元テロリスト、一人が元ロシア警察官で、つまり警察外部の人間である。そのため、あるいは他の色々な特別扱いのために特捜部は警察内部で酷く浮いているのだが、ともすれば下らなくも思えるそのイザコザもどこかの刑事モノで見たことのあるような展開であるし、三人が繰り広げるハードボイルド劇も然り、テロリストとの犯罪戦も然りなのである。  そりゃあ全体として良く出来てはいると思うのだが、面白いかと聞かれれば首を捻る。続編が出ることを前提で話を進めているようだが、別に気にもならない。(條電)

『烏有此譚』円城塔(講談社)

 新進気鋭の作者がおくる不条理を超えた純文学。不思議な読後感と称される小説はわりとあると思うが、読んでいる最中も不思議ランプが点灯しっぱなしな本はそう多くないだろう。端的にいえば意味がわからない。ただ切れ切れの、理解できそうな言葉に翻弄され、概念に押し流されていく。文字の羅列ではあるが、それらが読者を楽しませようと並んでいるかには疑問が残る。理解しようとする試み自体に意味がないといわんばかりだ。  しかし、おもしろいってなーに?と脳がとろけそうになってくると、なぜだかおもしろく感じてきてしまう。新しい世界が、ひらけた(気がする)。作者の精神を心配したくもなってくるが、注を読めばその心配は杞憂に終わる。そこには、物知りで勉強熱心な作者の姿がある。興味深い注についつい本文を忘れてのめり込み、どこまで読んだのか、そもそも何の話だったのかが思い出せなくなる。注の注、注の注の注と読み進めていくうちに、どこかわからない思想の奥地へと迷い込んでしまう。迷い込んで、辿り着かない。だんだんと、自分が迷っているのか楽しんでいるのか苦しんでいるのか全部なのかがわからなくなってきて、わからないうえにわからないことだらけで、ふと気がつけば紙面が終わっている。(つの)


Last-modified: 2010-07-10 (土) 22:00:40 (2877d)