発行物紹介

BiTvol5

『QED 河童伝説』高田崇史(講談社ノベルス)

 QEDシリーズ第13弾。今回は妖怪の中でもおそらく一番馴染みが深いであろう河童をテーマとしている。毎回民俗学的考察に重きを置いているシリーズだが、今回のミステリ要素の分離はすさまじい。ギリギリある繋がりとしては被害者の手が切断されていることぐらいである。  冒頭から首なし武者に迫られているというように、ホラーな展開である。この展開の理由はラストあたりであるので、楽しみにしておこう。民俗学的考察はやたらと製鉄民族に偏っていたり、突拍子のないものが多いが、今回の考察はそれに輪をかけて荒唐無稽だ。平将門や菅原道真を河童だと言い放ち、アマツミカホシやスサノオさらにはアマテラスまで河童だというのである。「河童」はもちろん妖怪のことではなく、シリーズで語られる「鬼」のように朝廷などの権力者に逆らったものたちのことを意味しているが、そう考えてもこの考察はとんでもない。このシリーズをミステリと呼ぶには違和感がある。主人公は「名探偵」というような役割を担うキャラではなく、時として主人公の考察が解決の糸口になることはあるが、基本的に関与しない。今回なんて全く関係のないところで解決してしまっている。というわけで純ミステリ好きには勧められない本ですが、「トンデモ考察面白い!」というような人にはオススメです。(toshi)

『くらやみの速さはどれくらい?』エリザベス・ムーン(ハヤカワ文庫 SF)

 自閉症が赤児の段階でなら治せるようになった近未来での、ある自閉症患者の話。その自閉症を演出した台詞回しや描写からは「アルジャーノンに花束を」を彷彿とさせる。実際、どこかで「21世紀版アルジャーノン」という評価も見た。ただし内容は全く違うものである。  「アルジャーノン」は治療によって知能指数が上昇するが、くらやみの方は主人公の体験した様々な出来事、例えば恋をしたり、フェンシングの競技会に出場したり、主人公を邪魔に思う何者かに襲われたりといった事柄によって成長し、一般の言う「普通」の人へと近づいていく。時間はかかるものの、「普通」の人の見ている世界を徐々に理解してゆく主人公の姿は読んでいて好ましい。意味の分からない事象の前に混乱する主人公が、突如そのパターンを理解し急成長をみせるのは、読んでいても嬉しくなってしまう。  そうして「普通」に馴染んでゆく主人公を見ているのもいいのだが、対する「真に迫った自閉症患者の視点」も興味深い。自閉症でない私に真に迫っているなどと言う権利もないのだが、とにかくそれっぽいのは確かである。脳が受け取る信号の取捨選択が出来ず、常に情報多過の状態でいる主人公。世の中をパターンで理解し、美しいパターンを何よりも愛する主人公。そんな彼の世界をこの本は、「普通」の我々にも理解できる形で提供してくれる。(條電)

『微睡みのセフィロト』冲方丁(徳間デュアル文庫)

 小説家としては『マルドゥック・スクランブル』シリーズや『天地明察』等の代表作を持つ。本作『微睡みのセフィロト』は今年3月に早川書房から出版された小説であるが、もともとは徳間書店から02年に出版されたライトノベルで、今回は加筆・修正された上での再版である。  物語は、感応者(フォース)と呼ばれる新人類と旧人類、感覚者(サード)、との間に起こった戦争によって一度破滅しそこから立ち直りつつある世界が舞台で、主人公であり戦争によって家族を失った、捜査官「パット」と感応者「ラファエル」は「感応者」によって引き起こされたある事件を追っていく中で自身の傷と向き合うことになる。  出版された時期から前述した「マルドゥック」シリーズなどのプロトタイプと位置づけられることがしばしばあり、実際後の作品に影響を与えていると思われるストーリー、キャラクター等の設定が諸所に見られるのが本書の特徴の1つである。特殊能力を持った少女と人体改造された元軍人という設定は「マルドゥック」シリーズに色濃く反映されており、両作を読んでその対比をしてみるのも面白い。  『微睡みのセフィロト』は作品の性格上冲方丁の入門書として最適なものと言える。もしあなたが冲方丁に興味を持っているなら是非本屋に行きこの本を手に取ってもらいたい。(柴田)

『追想五断章』米澤穂信(集英社)

 中高生の活躍する青春ミステリを得意としてきた著者が、編集者から「渋い話を」と依頼されて執筆した、本格ミステリ長編である。  主人公・菅生芳光は、古書店主の伯父の仕事を横取りして北里可南子の依頼を請け負う。それは、可南子の父が書き残した五つのリドルストーリー(あえて結末を明らかにせず読者に委ねる小説)を探し求めるというものだった。可南子の手元には、そのリドルストーリーの結末らしき断片だけが見つかっているらしく……という物語。リクエストされただけあって展開が渋い。いぶし銀だ。悪く言えば地味である。  本来、リドルストーリーに結末が用意されているというのは野暮な話であり、蛇足だと思われるだろう。作中でもそう語られている。しかし、可南子の父が五つの結末に込めた意図を知った上で最後の一行を読むと、読後感がほろ苦くて良い。また、リドルストーリー自体も、似非異国情緒といった感じで面白い。  ちなみに『このミステリーがすごい!2010』などの各種ミステリランキングで上位にランクインしており、本格ミステリ大賞・日本推理作家協会賞の候補作にも選ばれている。受賞作の発表が待ち遠しい。(井上)


Last-modified: 2010-07-10 (土) 22:27:33 (2993d)