バットマン・キリングジョーク(アラン・ムーア)

アメリカ史のテストでついテスト用紙の余白に「バットマンがアメコミで一番強いのは彼がアメリカ共和主義の体現かつクライムファイターとして合衆国憲法修正第二条の体現でもあるからです」と書いたり書かなかったりしたわけですが、アメリカのやり方に各方面から疑問が湧き出ているのと同じようにバットマンもまた「独善ではないか」「このショタコン野郎!」「変なカッコすんな」などとさまざまな批判を受けています。コミック界でも問題意識は存在していたようで自己批判するかのようなコミックが数多く出版されてきました。

例えば先の『ダークナイト・リターンズ』では主人公こそバットマンですが、現実のさまざまな理不尽を批判しつつ同時にヒーローのゆがみも明らかにするというものですし、本書の表題作では主人公自体バットマンの宿敵たるジョーカーで、彼の過去と現在を描くことで痛烈なヒーロー批判を行なっています。“ヒーロー”がただの心の弱い男の人生を破滅させ、悪役に無情な言葉を投げかける可能性が本書では示されます。そしてジョーカーは自分と同じくバットマンもまた狂気に憑かれていることを指摘して弱々しくも一矢報いるのです。

ヒーロー批判なら『ヴィジランテ』も素晴らしいものがあります。悪役となるのは児童虐待のクソ親父で何コイツ早く死なないかなあみたいなキャラですが、ラストのとても後味悪い展開にヒーローという存在に対し疑問を抱かない読者はほとんどいないでしょう。

そして『スーパーマン』は一見スーパーマン賛美に見えますが、実はヒーローの孤独さを描いています。宿主の望む世界を夢見させる寄生植物に取り付かれたスーパーマンは“クリプトン星で幸せな生活を送る自分”を見ますし、バットマンの夢見るのは“両親の死ななかったクライム・アレイ”です(夢から覚めた彼が「バット・ガールと結婚して子どもが何人もいたよハハハ」と冗談を言うのは面白い点です)。ヒーローは心の中では自分がヒーローになることを望んでおらず、世界は自分がいないようなところであるべきだと分かっているというのはヒーローの二面性を語る上でも重要なポイントとなるでしょう。

話を楽しみながら思索の種にもなりうるそんな本書ですが、高すぎるという問題があるのも事実です。翻訳コミックが安く読めるようになる時代はいつになったら来るのでしょうか。

(片桐)


Last-modified: 2007-04-11 (水) 01:09:33 (4058d)